感情に振り回されない方法とは

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今回は感情についての話です。感情に振り回されないようになりたい、そう感じたことはありますか。自分はここ最近、強くそう感じます。なぜなら最近読んだいくつかの本と話をした人から「感情に振り回されるな」というメッセージを重ねて受け取っているからです。

苫米地英人さん著書、「「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!」に感情に支配されない方法ついて、とても良い解説が書かれていましたので今回、とりあげて解説します。

本書には感情に振り回される原因、その対処方法、心が傷つきやすい人の傾向など詳しくかかれています。この本が5、6年前に出版されていたとは驚きです。本書の内容を理解できれば、感情に振り回されない自分へと変身することができます。

「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める! 苫米地英人 著

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感情にひたるな

感情に振り回されてしまっている人を「抽象度が低い」といいます。

「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!

「抽象度」という言葉、自分は最近になってよく聞くようになった言葉です。それ以前もたまに聞いたことがありましたが、意味がいまひとつ腑に落ちていませんでした。だから今まで「抽象度」という言葉をスルーしてきてました。今になって理解が追いついてきつつあるので、しっかり把握してまとめよう、という意識になるところまでようやく来ることができました。

感情にひたる、感情に振り回されることが抽象度が低い、という状態です。抽象度とは何かとは以下になります。

抽象度とは

情報量が多い状態を「抽象度が低い」といい、情報量が少ない状態を「抽象度が高い」といいます。

例:特定の個人(Aさん) → 人類 → 哺乳類 → 動物 →生物

情報量が少ない(=抽象度が高い)とは、ある事物をより少ない情報量で表しているということです。「人類」と「Aさん」では「人類」の方が抽象度が高いとらえ方ということになります。
理解しづらいという方は、「抽象度」を「視点の高さ」ととらえるとわかりやすいかもしれません。

「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!

抽象度が低いと具合的になって細かい説明が多くなり、抽象度が高くなると漠然としてくる傾向を感じます。抽象度が高くなると細かいことや小さなことは視野に入らなくなるので気にならなくなります。視点の高さというとらえ方はわかりやすいですね。

抽象度が低いと感情に支配されるのはなぜか

抽象度の低い人は、視点が低いのですから、例えば、今この瞬間の「会社でイライラさせられている自分」のことしか見えていません。視界が狭いのです。したがって、イライラするようなことがあると、感情に頭の先まで使ってしまいます。つまり、感情に支配されてしまうのです。

「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!

抽象度が低いと視点が低い、視界が狭いで目の前のことがすべてとなってしまいます。だから目の前のことから生じる感情がすべて、となってしまうわけです。では抽象度が高いとどうなるか、他の様々なことも見えているので目の前のことがすべてではなくなり目の前のことから生じる感情以外のもの感じることになります。

感情に支配されないためには

それはゴールを持つことです。ゴールとは、自分が重要だと考えている目的や目標のことです。目的や目標があれば、それにあわせて視点があがります。つまり、抽象度があがります。

「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!

ゴールを持つと視点があがり、抽象度があがる。だから感情に支配されなくなる、と。自分の場合は目的や目標を持つと、目の前のことから生じる感情がすべてではなり、他のことも見えてくるので目の前のことから生じる感情がすべてでなくなる、だから目的や目標を持つと感情に支配されなくなる、と思います。

すべての感情を娯楽にせよ

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「感情に振り回される」というゴミを捨てるコツを教えましょう。それには全ての感情を娯楽にすること。これが感情のゴミとつきあう根本原則です。
必要ではないが、あってもよいものを「娯楽」といいます。現代の私たちにとって、感情は実は娯楽なのです。
娯楽として味わっておけば、振り回されることはありません。感情を娯楽として味わうという時点で、すでに抽象度が上がっているからです。

「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!

感情を娯楽にする、というのが自分にはピンとこないのですが。自分が嫌と感じる感情に対して、客観的に見ることが大切なのかと思います。感情に振り回されることは「必要ではない」と常日頃から意識することが大切です。

感情のゴミを捨てるコツは、「すべての感情を娯楽にすること」「ゴールに無意味な感情は捨て、ゴールに意味のある感情だけを味わうこと」です。
その基本にあるのは、抽象度を高く上げること。抽象度を上げて、ゴールを設定し、すべての行動をゴールのために行うことです。

「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!

ゴールである目的や目標のために意味がない感情を捨てることを理解する。それによって感情に振り回されることが意味がない意味がないことであると腑に落ちるようになれば、感情に左右されることがなくなります。

今までの自分の経験では感情に支配されることが多かったですね。このことを頭でしっかり理解して無駄な感情に振り回されないようにしたいところです。

自己中心な人ほど深く傷つく

私たちは生きている限り心に傷を負います。ものすごく衝撃的な出来事でも、トラウマになる人もいれば、ならない人もいます。では両者で何が違うのかというと、本人にとっての理不尽度が違うのです。
では何が理不尽度の差を生むのかというと、それは自己責任感の大小です。つまりショックな出来事に対して「自分にも責任がある」と考える人は、心の傷が深くならない。反対に、嫌な出来事が起きたときに「自分には責任がない」と考える傾向の人は、心の傷が深くなります。

「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!

これは自分には痛いメッセージでした。まさに自分は「自分には責任がない」と考える傾向の人だったからです。だから心に深い傷を負った気持ちになって、つらいと感じることが多かった。でもそれは自己責任感が小さい、「自分には責任がない」という無責任な考え方からきているので、これは改める必要があるとしみじみ感じました。

ここでいう「自分にも責任がある」とは、例えば夜道を一人で歩いていて暴漢に襲われた女性に対し、不用心な彼女にも責任がある、などと責めることとは違います。
そうではなく私たちは生きていく以上、さまざまな理不尽を引き受けていかねばなりません。それが生きていくということだからです。さまざま理不尽を引き受け、この世界の理を踏まえて生きていく心構えのことを「責任」と言っているのです。

「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!

「さまざま理不尽を引き受け、この世界の理を踏まえて生きていく心構えのことを「責任」と言っているのです。」この言葉を聞いて、いまの自分は理不尽なのは嫌だと感じる気持ちもあります。しかしそれでもどうにもなりません。すべての責任は自分のあるという覚悟をもつ必要を感じます。

いま現在、自分にいくつかのメッセージで「自分で責任をもつ」ということの必要性を迫られています。そういうタイミングであり、変わることを求められている時期なのだと思います。今までは世の中は平等という幻想をみていましたが、世の中は不平等で理不尽があることを踏まえた上で生きていくことを求められていると感じます。

まとめ

感情に振り回されるのはゴールがないからだ
すべての感情を娯楽にせよ
ゴールに意味のある感情だけを自分に許可せよ

「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!

感情に振り回されないようになりたい。そういう人は抽象度をあげましょう。抽象度をあげたい人はゴールとなる目的や目標を持ちましょう。そうすることで抽象度があがり、目の前のことがすべてでなくなります。そしてその感情が目的や目標に必要ないとわかればその感情に振り回されることもなくなります。ゴールに意味のある感情だけを自分に許可して、感情を娯楽にすることができます。

また心に傷を負いやすいのは自分に責任がないと考える傾向の人です。無責任は自分も周りも嫌な気持ちになるので、「自分に起こることは自分の選択の結果で自分の責任である」と肝に銘じて強く意識していきたいと思います。

参考になれば幸いです。最後まで見て頂いてありがとうございました。

書評
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